名古屋乗り物今昔物語 その5 ぞうれっしゃがやってきた
8月7日、名古屋市千種区。


東山動植物園。
この日はナイトZOO、通常16:50で閉園するが夜20:30まで営業する。
夜の動物の生態を観察することが出来ます。

到着したのは15:00頃…暑っ!!
この暑さにほとんどの動物が悲鳴をあげて…。

インドサイさん、池の中で沈黙。

ペンギンさんはミストを浴びて暑さをしのぎます。

ホッキョクグマさん。
氷の中にニンジンとか、えさが入っているらしく…少しずつ砕きながら食べています。

クロサイさん。
アフリカ出身なので、暑さには強そうですが…名古屋の夏はどうですか。

名古屋市と姉妹都市のロサンゼルス市。
その関係でアメリカからやって来たアメリカバイソンさん。
「名古屋…どえりゃー暑いがや」っと言ってそうです。

プレーリードッグさんも、同じくアメリカからやって来ました。
まだまだ、紹介しきれない多くの動物がいますが…この日のお目当てはこちら。

昨年来園40年を迎えた、アフリカゾウのケニー。

こちらはアジアゾウの母子、アヌラとさくら。
そしてこの石碑。

「ぞうれっしゃがやってきた」
説明下手なので…伝わるかどうか…不安ではありますが…。
簡単に説明すると「かわいそうなぞう」の対になるお話しだと思います。
先の大戦中、日本の各地で空襲が始まると動物園内の動物たちは、檻から逃げた際に人を襲う害獣になるかもしれない。
そういった理由で各地の動物園内の動物たちは殺処分させられました。
(「かわいそうなぞう」はゾウがえさの中から毒入の餌を食べず、餓死してしまうお話しです。)
ここ東山動物園でも例外はなく、トラは毒入りの肉を食べ、頭のいいライオンは毒餌を食べなかったので銃で射殺されました。

ただゾウだけはなんとか生かしてほしいと、当時の北王英一園長が嘆願、警察と軍を説得し、ゾウだけは殺されずに生き残ることが出来ました。
が…時は戦争で物資の少ない時代。
ゾウのエサを確保するのは簡単なことではなく、北王園長自ら畑を耕したり、大八車を引いてエサを求め歩きました。
戦争が終わり、東山動物園には2頭のゾウが戦後を迎えることが出来ました。

マカニーとエルド。
時は経って昭和24年。
東京の少年たちが上野動物園へ「ゾウをかしてほしい」と東山動物園へ嘆願します。
北王園長は、どうにかして東京へゾウを輸送する方法を考えますが、2頭のゾウの絆が強く引き離すことが出来ません。
(おそらく苦しい時代をともに過ごしたとか…そういう理由が2頭の間にはあったと思います。)
そこで北王園長が考えついたのが「みなさんがゾウを見に来て下さい」。
これに呼応した国鉄が名古屋行きの特別列車を走らせます。
その列車が「ぞうれっしゃ」です。

国鉄では全国からのべ1万数千人の子どもが、また近鉄電車も大阪上本町から名古屋行きの特別列車を毎日走らせのべ4万5千人の子どもが東山動物園へゾウを見るために訪れました。
まあ…本音で言うと…書いていて胸が詰まる想いなんですが…
実はちょっとした裏話があり…同じ名古屋市千種区にあった中部軍管区司令部、そちらの所属の獣医大尉だったM氏が、軍馬に与えるふすまを象舎に運び込ませて支援をしていたそうです。

動物園はあって当たり前、動物園にはゾウが必ずいる…僕らが当然だと思っている光景は、強い意志を持った人たちの行動によって守られてきたものであり、とても大切なことだと思います。

あまりに近すぎてその大切さを忘れてしまっている。
平和や安全もそれに類するものであると思います。

しょうもない拙文とは思いますが…このお話しを紹介することで、71回目の終戦の日に、平和に対する思案をめぐらせていただけたら…幸甚の至りに存じます。

※参考文献 小出隆司:作 箕田源二郎:絵 「ぞうれっしゃがやってきた」
(このブログは読まなくていいです、これを買って読んでくれ…ともいいません。最寄りの図書館にあったら手に取ってみてください。大人3人に貸しましたが、3人とも涙腺崩壊しました。)

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東山動植物園。
この日はナイトZOO、通常16:50で閉園するが夜20:30まで営業する。
夜の動物の生態を観察することが出来ます。

到着したのは15:00頃…暑っ!!
この暑さにほとんどの動物が悲鳴をあげて…。

インドサイさん、池の中で沈黙。

ペンギンさんはミストを浴びて暑さをしのぎます。

ホッキョクグマさん。
氷の中にニンジンとか、えさが入っているらしく…少しずつ砕きながら食べています。

クロサイさん。
アフリカ出身なので、暑さには強そうですが…名古屋の夏はどうですか。

名古屋市と姉妹都市のロサンゼルス市。
その関係でアメリカからやって来たアメリカバイソンさん。
「名古屋…どえりゃー暑いがや」っと言ってそうです。

プレーリードッグさんも、同じくアメリカからやって来ました。
まだまだ、紹介しきれない多くの動物がいますが…この日のお目当てはこちら。

昨年来園40年を迎えた、アフリカゾウのケニー。

こちらはアジアゾウの母子、アヌラとさくら。
そしてこの石碑。

「ぞうれっしゃがやってきた」
説明下手なので…伝わるかどうか…不安ではありますが…。
簡単に説明すると「かわいそうなぞう」の対になるお話しだと思います。
先の大戦中、日本の各地で空襲が始まると動物園内の動物たちは、檻から逃げた際に人を襲う害獣になるかもしれない。
そういった理由で各地の動物園内の動物たちは殺処分させられました。
(「かわいそうなぞう」はゾウがえさの中から毒入の餌を食べず、餓死してしまうお話しです。)
ここ東山動物園でも例外はなく、トラは毒入りの肉を食べ、頭のいいライオンは毒餌を食べなかったので銃で射殺されました。

ただゾウだけはなんとか生かしてほしいと、当時の北王英一園長が嘆願、警察と軍を説得し、ゾウだけは殺されずに生き残ることが出来ました。
が…時は戦争で物資の少ない時代。
ゾウのエサを確保するのは簡単なことではなく、北王園長自ら畑を耕したり、大八車を引いてエサを求め歩きました。
戦争が終わり、東山動物園には2頭のゾウが戦後を迎えることが出来ました。

マカニーとエルド。
時は経って昭和24年。
東京の少年たちが上野動物園へ「ゾウをかしてほしい」と東山動物園へ嘆願します。
北王園長は、どうにかして東京へゾウを輸送する方法を考えますが、2頭のゾウの絆が強く引き離すことが出来ません。
(おそらく苦しい時代をともに過ごしたとか…そういう理由が2頭の間にはあったと思います。)
そこで北王園長が考えついたのが「みなさんがゾウを見に来て下さい」。
これに呼応した国鉄が名古屋行きの特別列車を走らせます。
その列車が「ぞうれっしゃ」です。

国鉄では全国からのべ1万数千人の子どもが、また近鉄電車も大阪上本町から名古屋行きの特別列車を毎日走らせのべ4万5千人の子どもが東山動物園へゾウを見るために訪れました。
まあ…本音で言うと…書いていて胸が詰まる想いなんですが…
実はちょっとした裏話があり…同じ名古屋市千種区にあった中部軍管区司令部、そちらの所属の獣医大尉だったM氏が、軍馬に与えるふすまを象舎に運び込ませて支援をしていたそうです。

動物園はあって当たり前、動物園にはゾウが必ずいる…僕らが当然だと思っている光景は、強い意志を持った人たちの行動によって守られてきたものであり、とても大切なことだと思います。

あまりに近すぎてその大切さを忘れてしまっている。
平和や安全もそれに類するものであると思います。

しょうもない拙文とは思いますが…このお話しを紹介することで、71回目の終戦の日に、平和に対する思案をめぐらせていただけたら…幸甚の至りに存じます。

※参考文献 小出隆司:作 箕田源二郎:絵 「ぞうれっしゃがやってきた」
(このブログは読まなくていいです、これを買って読んでくれ…ともいいません。最寄りの図書館にあったら手に取ってみてください。大人3人に貸しましたが、3人とも涙腺崩壊しました。)

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| 名古屋乗り物今昔物語 | 23:18 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑