2016大寒 JR北海道の放浪記 その40 光の街「函館」/また会う日まで
最後までお付き合いいただきましてありがとうございます。

久根別1729発函館行き 133D
東久根別~七重浜間には、青函連絡船「洞爺丸」慰霊碑があります。

(2015年7月訪問時)
けっして明るい観光地ではありませんが、この事故が後に青函トンネル建設の気運が高まる要因となり、現在の北海道新幹線へ繋がります。

青森駅の八甲田丸(2015年7月訪問時)、

(2015年7月訪問時)
函館駅の摩周丸と一緒に観光すると、よりいっそう理解を深められると思います。

(車内のポスター)
終点の函館駅へ。

これにて、江差線えきめぐりも終了。
「急行はまなす」の時と同じくホームを離れるのが何とも寂しく…。
でも意外とあっさりキハ40がホームを離れたので…これが本当に最後になりました。
この旅をはじめる前、「北海道を旅するのは今回が最後かもしれない」となんとなく思っていました。
減便や廃止が相次ぎ、ただでさえ厳しい北海道の鉄道旅がますます難しくなるだろうしと…。
道東の釧路から始まり、茅沼駅のタンチョウ、網走駅の壮絶さ、白滝の木造駅舎、最北の無人駅抜海駅、塩狩駅のキハ40、札沼線の素朴な駅舎たち、急行はまなす、江差線の車窓…。
旅を終えてみるとむしろ逆で、ますます北海道には魅了されることになりました。






(函館駅滞在時間は20分弱ですが…抜け目なくここにも寄りました…。)


函館駅、1902年開業。
最後は季節外れのイルミネーションに助けられた記事になりましたが…。

もちろん、並行在来線の3セク化には断固反対という立場でありますが…
見通しは厳しくとも、「北海道新幹線」がうまく立ち上がってくれないと、分離された「道南いさりび鉄道」も立ちゆかなくなるわけで…。
その前途が明るいことを、遠く「えびふりゃーの国」からお祈りしたいと思います。
さようなら北海道、また会う日まで。
このあと、函館空港から羽田空港へ。
日に1本の中部国際空港行きは13時台だったか?早かったので…ギリギリまで滞在できる羽田行きを利用しました。
羽田から京急で品川、品川から最終の名古屋行き新幹線での帰路でした。
睡眠時間5時間、翌日職場で
「すっごい顔しているね」
と言われて…とんでもなく疲れた顔をしていたんだろうなと思っていたら、まったくの逆だったらしく…
「ものすごく充足した顔をしていた」
とか…。
お局様、5日間もお休みをいただきまして感謝しておりますm(__)m
自身の心の脆弱さゆえに途中投げ出したり、本文を削除してしまったり、大変ご迷惑をお掛けしました。
読者の皆様には厚く御礼申し上げます。
今後ともご贔屓にしていただきましたら幸いに存じます。
~終~
| 大寒 JR北海道の放浪記 | 23:40 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑