3月28日。
2ヶ月に1度の病院通い。
快方に向かっているんだか…よく分かんないんですけど。
どうせなら、午後も休んでカメラを持っていろいろ巡ってみようと。

名古屋でも咲いています、桜。
以前紹介した中川閘門、ひょっとしたら桜が咲いているかもと訪問してみましたが、まだまだの様子。
それならばと、中川閘門の最寄駅へ。

山王駅、1928年開業。
この駅の以前の名前を知る人も少なくなった…なんて言ったら本当におっさんになった気分。
以前の名前は「ナゴヤ球場前駅」。

「THE・名鉄」な風景。
この駅も名古屋駅から一駅目の駅なんですけど…無人駅という…。

隣には新幹線の高架線。
壁画は地元の小学生の作…といってもいつの時代何だか…。
この位置に立ってみると分かる、新幹線の静かさ。
むしろ赤い電車の通過の音がけたたましいです。
駅から少し歩きます。

東海道新幹線の高架線も今となってはずいぶん古い。

これまた、いつの時代の注意書きか…??新幹線が少し怖い。

あの「入口出口」は、JR東海が書いたのではないでしょう…。
やんちゃな人が書きそうな雰囲気がありますが、やけに丁寧です。

新幹線の走るこの地域ですが…
高架にはこんな壁画があります。


緑色の打者は三冠王「落合博満」、赤い投手はスピードガンの申し子「小松辰雄」がモデルなのではないかと言われています。
この近くにあるのが…

ナゴヤ球場、かつての中日ドラゴンズのホームグラウンド。
今は二軍のホームグラウンドになっています。

1948年に開業したこの球場。古い石垣が残ります。
Wikipediaの情報を鵜呑みにすると文化庁から「登録有形文化財」に申請しませんか?とお誘いがあったらしい。
中日球団側が「自由な改装とかできなくなるので…」と断ったらしい。
事実、現在のこの球場、現在の本拠地「ナゴヤドーム」のサイズにあわせるため、外野スタンドなどを撤去しています。

オールドなドラゴンズファンなら、この球場にいろいろな思い出があると思います。
開業間もない1951年に全焼火事からの再建、
1954年、中日ドラゴンズ初の日本一、
1974年、巨人のV10を阻む優勝、
1981年、宇野ヘディング事件(
youtube)、
1982年、近藤監督、野武士野球での優勝、
1987年、近藤真一の初登板ノーヒットノーラン、
1988年、星野監督胴上げ、
1989年、巨人斉藤から落合博満劇的サヨナラスリーラン(
youtube)、
1991年、彦野利勝のホームラン代走(
youtube)、
1996年、ガルベスVS山崎武司の大乱闘(
youtube)…などなど…まあ…珍プレーが多いですが…。
その数多い思い出の中でも、飛び抜けちゃっているのは、やっぱり10・8最終決戦。
1994年10月8日、1試合を残し読売ジャイアンツと中日ドラゴンズが69勝60敗の相星の首位で並び、その両チームの相星最終決戦がここナゴヤ球場で行われました。
結果は…読売ジャイアンツの長嶋監督が宙に舞いました…。
実は、この10月8日に営業を終了した駅があります。
先ほどの壁画の場所にあった「ナゴヤ球場正門前駅」。

(尾頭橋駅はこの駅の常設化希望があったため東海道本線に設置された駅です。)
野球開催日のみの臨時駅、僕も乗車した記憶がありますが…どんな車両が走っていたかとかは…その頃は非鉄だったので。
もともとはJR貨物の「名古屋港線」。
1987年、この路線の第二種鉄道事業をJR東海が取得し、名鉄の独占状態だった球場輸送に参入しました。
1995年に東海道本線に尾頭橋駅が開業することから、この「ナゴヤ球場正門前駅」は1994年のシーズン終了とともにその役目を終えました。

(おそらくプラットホームがあったと思われる場所、6両まで対応していたそうです)
もっとも、ドラゴンズがあの一戦を勝ち上がっていれば、日本シリーズまでは延命されたと思うと何とも複雑な話し…。
あの10・8を戦った最後の戦士も昨年引退してしまった。
開幕前の解説者の予想をみるかぎり…「今年も安定のドベゴンズ」らしい。
Aクラスの予想している解説者も、いなかったもんなぁ…ライバルDeNAのAクラス予想はひとりいたけど…。
アイツらの予想がなんだっていう話しですが…。
Bクラスでも、最下位でもかまわんが…気概を見せろよ。
打倒読売、ジャイアンツには負けんなよ、金満球団蹴散らしていこうぜ。
球春到来、竜魂燃勝、燃えよドラゴンズ。

ドラゴンズブルーの空に鮮やかな桜。
秋にもう一度、鮮やかな桜を咲かせてみせましょう!!
っとまあ、一人で盛り上がってますが…山王駅へ。

もう少し続けます…。
(「D750」+「AF-S NIKKOR 28-300mm f/3.5-5.6G ED VR」)
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